みなさんこんにちは。
株式会社ヨシカワ代表 吉川 力(つとむ)です。
平素はヨシカワのしなものをご愛顧いただき、ありがとうございます。
あつくあつく熱烈に感謝し、御礼申し上げます。
さて、
11月のなかほどの一週間、視察でひさしぶりに東南アジアに行きました。
行先はミヤンマーのヤンゴン、そしてタイのバンコック。
ミヤンマーに入ったのはまさに総選挙の日。
軍政権か民主派か、政権交代による内政のなりゆきを見守る地元の一般の皆さんは思いのほか冷静。これから流れをじっくり伺っている様子。
一方で、3年前から緩和された外資による投資、それに伴う物質的な豊かさは、いままさに始まったばかり。
訪問した企業さんや、街の中を見ていても、ひとびとは、日々新しく流れ込んでくる消費物の洪水に、いささか酔うように楽しさを噛みしめているようでした。
17年ぶりに訪問したバンコックでは、高い経済成長率に押し上げられる形で大いに発展、以前はバイク、テレビを欲しがっていたひとびとが、今では欲しいものがクルマ、そして家になっている、と言います。
そのため賃上げ、収入の増加に熱心で、製造工場では、以前はあまり見られなかった労使交渉が頻繁に行われるようになり、企業経営に携わる方々は、その対応に忙殺されるウェートが年々重くなる、とか。
いずれの国も、資本主義経済の導入期から成長期にあって、みんな「もっと欲しい」「あれも欲しいこれも欲しい」と、手に入れたいものが多く、それを目指して働いている姿は、明解な目標があるだけに大いなるやりがいをもって、仕事に、生活にまい進しているさまが見て取れ、大いに感じ入るところがありました。
現生の欲望に正直である一方、それぞれの国のひとたちが熱心に仏教に帰依するさま、というか「生活に仏教が自然に寄り添っているさま」というのにも、目を見張るものがありました。
ヤンゴンでは、仏門に入る前のオシャカさまのお休みになっている姿をかたどったというチャウタージーパゴダの寝釈迦像の威容に驚きました。
オシャカさまが仏門に入り、入滅する際の姿の涅槃仏と、この寝釈迦像の違いは、足元。
ココが揃っていれば涅槃仏、このようにズレているのは、休憩している証拠、なんだそうです。
そしてタイでは、アユタヤの遺跡に遺された、仏像の穏やかなお顔に、荘厳な気持ちを覚えました。
どちらの国でも午前中に街を見学していると、托鉢の少年僧たちを多く見かけ、ひとびとは、ごく自然に喜捨を行っている。
なんでもわたし達日本人になじみのある大乗仏教と違い、ミヤンマーやタイで信仰されている上部座仏教(近頃は小乗仏教とは言わないんだそうです)は、オシャカさまのみを信仰の対象とし、
「とにかく現世をしっかり生きろ、現世で功徳を積み、来世を豊かに幸せに生きよう」
という教えなのだそうです。
言いかえれば、ひたすら現世で徳のある事をしつづける、という熱意が、宗教を生活により密着させているのでしょう。
今を一所懸命に生きる、その中で流れ込んでくる資本主義社会、物質文明、「豊かさ」をも同時に飲み込み、進んでいく力、これがまさに今の東南アジアのダイナミズムの源、なのでしょう。
いつもいる場所から少し離れ、ここではないどこかを見る事で、改めてじぶんの立ち位置や型を知る、たいへん勉強になりました。
この経験が、ヨシカワの品物づくりに活かしていければいいなと、思っております。期待してください。
それでは。